梶川武志です。

僕がどのようにゴルフと出会いそしてゴルフにはまっていったのか

というお話をしてみたいと思います。

 

記憶がはっきり定かではございませんが

僕が小学校4年生か5年生の時に父親がゴルフを始めました。

父は始めたばかりなので練習場へ行ったり、庭でゴムひもがついたボールを打ったりしていました。

僕は部屋でパターマット敷きボールを転がしたのがゴルフの始まりでした。

そのうち僕も庭で父とゴムひもがついたボールを打つようになり、父がいない時もクラブを物置から引っ張り出して遊びました。

熱心にボールを打つ僕を見て父が

「練習場に行ってみるか?」

と言って連れて行ってくれました。

とにかく楽しかったです。

そのうち友達と空き地に穴を掘って遊ぶようにもなりました。

父も練習場に行くときはたまに連れて行ってくれました。

僕は野球少年でしたが次第にゴルフに取り組む機会も増えてきました。

 

僕が小学校を卒業する春休みにコースに連れて行ってもらいました。

初めてのコースです(^^♪

栃木の烏山城カントリークラブ

日本プロを開催したこともあるチャンピオンコースです。

父と2人でラウンドしました。

僕は120台 父が90台だった記憶があります。

いつも練習場で見ている父はお世辞にもうまくは見えませんでした。

その父に全く勝てず愕然とした記憶があります。

 

野球少年だった僕は中学でも野球部に入りました。

ゴルフはと言うと空いてる時間に庭で遊んで、たまに父と練習場に行くという

小学生の時と変わらないくらいの取り組みでした。

体力がついていく年齢ですので少しずつは上手くなっていきました。

この頃、プロ野球選手になりたいという夢は持っていましたが

プロゴルファーになりたいとは思っていませんでした。

プロゴルファーを目指すようになるのはもう少し先です。

いくつかの偶然が重なってプロゴルファーを目指すようになるのですが、

その一つ目が高校受験です。

 

僕は中学3年生の夏からある入学祝につられて猛勉強を始めました。

東葛飾高校という(進学率99%、当時は東大に毎年10人以上入ってました)

高校に入ったら入学祝がもらえるのです。

猛勉強のかいあって3ヶ月で偏差値が10くらい上がり合格することが出来ました。

このゴルフ部の無い進学校に行ったことで後々プロゴルファーになるきっかけが

出来てしまう・・・ 人生の不思議な所ですね。

 

高校1年生になってからもゴルフは空いてる時間に遊ぶ程度でした。

中学3年生の時に成績がかなり上がった勉強も面白く

将来の夢はよく分かりませんでしたが

東大でも目指そうかと思ったりしていました。

そんな高校生活を送っていましたが、

2年生の時お寿司屋さんでバイトをすることになりました。

マスターは父の同級生で高校のすぐ近くのお寿司屋さんでした。

学校帰りに毎日のようにバイトに行きました。

なんと、このバイトがプロゴルファーを目指すことにつながっていくのです。

マスターの弟さんはプロゴルファーで東我孫子カントリークラブに所属していました。

マスター「土日にボール拾いしたら練習場無料で打たせてくれるってよ」

僕「えっ、ボールを拾うだけでいいんですか?」

当時の練習場は値段が高く高校生にはしょっちゅう行ける場所では無かったのですが

ボール拾いをするだけで思う存分練習できるとは!(^^)!

嬉しくて毎週行くようになりました。片道10kmの道のりを自転車でキャディバッグを担いで。

 

東我孫子カントリークラブにはたくさんのプロゴルファーが練習に来ていました。

毎週行っていると球拾いの後プロの方がコースに連れて行ってくれるようになりました。

楽しくて学校が終わってからも行くようになりました。

もうその頃はゴルフばかりでしたね。何か一つのことに集中すると他のことは何もやらなくなってしまう性格だったのです。

2年生が終わり春休みに入って毎日東我孫子カントリーに行っていると

江本光プロから

「来週試合のキャディやるか?」

と聞かれました。

トーナメントのキャディです。ビックリしました。

トーナメントは何度か見に行ったことがありました。

”ロープが張ってありコースの端っこから選手のプレーを観るのが普通”

だと思っている僕でしたから

”ロープの中に入れるんだ”

と思うと始めはビックリしましたがだんだん楽しみになってきました。


結局春休みは実現せずトーナメントのキャディは夏休みまで持ち越しになりました。

初めてのキャディはマルマンオープンです。ロープの中に入っているとまるで自分が選手のように感じて凄く楽しかったのを覚えています。江本プロのプレーに一喜一憂しながら、僕もロープの中でプレーしたみたいと思いました。この時心の中でプロを目指そうと決意しました。